父の背中に憧れて
ものづくりの道を決意
輝久(父)私が入社したのは、いすゞになる前の車体工業でした。工場見学のとき、指導者の方がとても気さくで、社員の人柄やアットホームな雰囲気に惹かれて入社を決めました。いすゞに統合されるときには少し不安もありましたが、変わらず朗らかな雰囲気で安心したのを覚えています。
最初に配属されたのは車体課で、塑性加工(板金)を担当していました。いわゆる職人仕事ですね。その後工務グループに移り、現在はIMや手順書、チームリーダー教育などを行う指導者を務めています。
雄喜(子)子どものころ、DIYを趣味とする父が図面を引いている姿を、そばでよく見守っていました。算数で図形の授業が始まったときも、コンパスの使い方や立体的な考え方を教えてくれたのは父でした。
輝久仕事でも教える立場だったので、日常生活の中でも勉強を教えながら、自然と仕事の話をしていたのかもしれませんね。
雄喜ものづくりが好きだった私にとって、決定的な出来事は父が近所の人の凹んだ車を修理したことでした。「ものを生み出す」だけでなく、「あるものを元に戻す」技術も、ものづくりなんだと気づき、とてもかっこいいと思いました。それで、神奈川県で唯一の総合産業科がある高校に進学。旋盤や溶接、自動車の仕組みなどを幅広く学びました。
輝久親としては「よく自分で考えて選択しているな」と感心していました。うちは親が口出ししない方針ですから、やりたいことを実現するために自分で考え、いすゞへの就職も自分で見学して決めていました。私はただアドバイスをしただけです。
雄喜実は見学の際に少し手違いがあったのですが、それでも丁寧に対応してくれたことが印象的でした。そのときに感じたウェルカムな雰囲気が決め手で、「ここで働きたい」と思いました。